ミャンマーへ行こう 6 被災地訪問     
             
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2008年 5/2〜3日に掛けて、ミャンマー南部を襲ったサイクロン・ナルギスの被災地を訪問しました。
第7日目1月26日(月)  晴れ 朝11度 インレー湖→ヤンゴン●インレー湖の朝です。●起き抜けの6時に朝食を済ませ  06:30 高速ボートでフーピンへ●朝は寒いので毛布を舟で用意してくれる。 07:00 フーピン着●07:05 フービンからバスにてヘーホーへ●途中、07:10〜07:35 マーケットの見学。 納豆です。●五日ごとに交代で市場が開かれるそうです●朝市なのですぐに食べられるようなものが多い●葉っぱに詰められたお弁当●食堂●早い時間ですがお客さんもかなり多く・・●これは・・・?●パオ・シャン族などの民族の市場で解らない商品が多かった●07:40〜07:50  シュエヤンピー僧院●シャン族の木造の僧院。 9世紀に建てられた僧院で彫刻が美しいことで知られる●丸い窓から顔出す僧の写真がよく絵はがきになる・・ということだそうで、坊さんにお願いして被写体になってもらいました●朝の洗顔時間のようでした●托鉢まではまだ時間がたくさんあるので、僧院の掃除などの仕事を。●08:35 ヘーホー空港着●国内便は酒、水問題なし、ライターも入れている場所によりOK●09:15 ヤンゴン航空918便にてヤンゴンへ 09:35発だが早く出発しました。●10:30 ヤンゴン着  10:50 ヤンゴン空港発サイクロンの被災地へ●13:00〜13:45 コンチャンコン村の僧院で昼食です●僧院が各部落の被害状況を把握して、今回援助する村、援助物資に対して助言を頂きました。●その上わざわざ遠くから、援助に来ていると言うことで、寺で食事を提供してくれました。少女たちが世話をしてくれます。●ラーメンとおかずです●13:45〜13:50 バスで移動し・・●13:50〜   舟で被災地へ●サイクロン・ナルギス 5/2〜3日に掛けて、ミャンマー南部を襲う。 サイクロンは、通年バングラデッシュに向かうが、08年はコースが違った●襲来は分かっていたが、政府系のテレビは選挙の話ばかりで、一般人は見る気がしなかった。●時速200kmであまりにも早く襲来、準備ができなかった。  ・被災者13万人●村には情報が行き渡らなかった等の諸条件が重なって大きな被害になる●特に高潮被害が大きかった。海側からではなく、むしろ逆風で吸い上げられた水が、反対方向から押し寄せる波が被害を大きくした。●ロンジーを履いていたことでも被害が大きくなった。通常は、ロンジーの下にパンツは履いていない→水でまとわりつき、身動きがとれなかった●お寺に逃げ込んだが、お寺の壁がつぶれて多数の避難者が一度に被害を受けた例も。 修復中のお寺●4:10 今回の訪問地コンチャンコン村のペーゴン部落の船着き場着●当時は、三分の二以上の椰子の木が倒れ、水位が2m以上増える。  倒れた椰子の木です●まだ修復中の道路。  ●サイクロン後 物価は上がるのに外国の援助を受け入れ無かったが、5/12の四川大地震で中国が外国の援助を受け入れているのをみて、ミャンマーも受け入れる●当初の内は、チェックポイントで三分の一の物資を政府が没収後、援助物資を配る。政府が援助をしているように見せかけたかった●援助金で買った品物を、現地スタッフが別の船で運び込みます。●14:30 村の僧院着  被害が最もひどい場所 イラワジ管区のラプタ ヤンゴン管区のコンチャンコン
 イラワジ管区のラプタでは、村民の半分以上が亡くなった村や1000人の内、700人亡くなった村もある●下では、今後の緊急医療体制のレクチャーが行われていました●お坊さんの指示に従い、部落の行政官が、すべての世帯に行き渡るように名簿をチェックします●今回援助物資を届けるコンチャンコン村のペーゴン部落
 ヤンゴン管区で最も被害が大きく貧しい地域 233世帯890人分 当時人口1200名だった●持てなしはしないよう固持したのですが、このくらいはさせて欲しいと出されました。●ヤシガニです。  ●村民が援助物資の運搬、仕分けを●各家庭に米2kg、ジャガイモ2kg、油600g、石けん、ローソク、各家庭にロンジー男性用又は女性用1着●そのほか日本で集めてきた、衣類や文具などは、あとで必要な人たちに個々配ることに。●現地の体験者に当時の生々しい被害内容を聞きました。●14:30〜16:05  僧院にて援助物資を配る●私たちも交代ですべての各世帯ごとに援助物資を配りました●寺の外で順番を待つ村人たちです。●もめることなく、きちんと整列してもらっていきました。両手を合わせていく人も・・●色々お話を伺いました。21:00頃風が強くなり、24:00〜1:00頃南西の風が強くなり、高潮被害(水位は3.6mも上がる) 23km先まで流され、生き残った人も●現在食料は足りてきているが、農業での自給自足の生活をしている村なので蓄えがない。畑や田んぼが被害を受けたので、今後の収穫が見込めないので援助は助かるとのことでした。●現金収入を得るため復興工事へ→道路工事で1日2000チャット程度。 大学を卒業したのに農業に戻る人も。 復興後は、村に欲しいのは図書館→流されてしまった。●頑張って!→チョーザーベー●帰りは村人が笑顔で送ってくれました●16:10 コンチャンコン村のペーゴン部落の船付き場出発●当時のヤンゴン 16:00頃襲来の予想があったが、実際は翌日の2:00〜10:00に襲来 停電、街路樹が倒れ、交通は全面ストップ●現在は、対外的に復興したことをアピールするため、強制的に難民キャンプは閉鎖されてしまった●16:20 僧院のある船着き場着 16:25 バス発●16:30〜16:40  僧院にてトイレ休憩●18:00〜  夕日の写真ストップ●19:05  ホテル着   19:30〜 ホテルのレストランでビルマ料理のさよならパーティー●ホテル チャトリウム(旧日航ロイヤル・レイク),








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